八田真行「新反動主義のおもしろさ」記事へのコメント: ヤーヴィンは人種差別主義者か?、能力主義、中世について
mhatta氏の主張について検討する:
1. 新反動主義者は、黒人やヒスパニックは知能が低いから差別されて当然と主張している →結論: YES?
2. 新反動主義は能力主義だ →結論: ほぼNO
3. 新反動主義は中世の封建制に戻ることを唱えている →結論: NO
ただし、ここで検討するうえで、新反動主義は、ヤーヴィンに限ってのものとする。
このmhatta氏による記事は私がはじめて新反動主義について聞いたきっかけです
mhatta氏の記事は、ハンス・ハーマン・ホップの名前に言及していないにも関わらず、ホップの考えに基づいて紹介しているように見える。Michael Anissimovかも。
「…この人〔= ヤーヴィン〕は2007年ごろからUnqualified Reservationsというブログで新反動主義についてやたらと長い記事をいっぱい書いた人で、正直私にしても全ては読み切れていないのだが、まあ上で書いたようなことが延々と述べられているのである。」というのは (太線部分が) 間違いだと思う。ヤーヴィンの考えとは異なる考えが紹介されているように見える。
人種とIQ
mhatta氏が言うのと違って、(別にmhatta氏がヤーヴィンに直接帰属しているわけではないけれど) ヤーヴィンは能力差別みたいな話はあまりしてない気がする。
この記事では、結局IQで投票権を制限するのも良いけれど、そんなことをしようとしてもリベラルの反対に遭うため実現可能でないから (IQの高低によらず) そもそも民主主義を廃止するほうがよい、という結論に最終的には達しているけれど
ヤーヴィン「上流階級が白人である場合、白人に投票権を制限することで良い政府を得られる。」→ヤーヴィンの人種差別的な面は、階級差別と結びついていることが多いようだ。
しかし人種以外の文脈でヤーヴィンがIQに触れているのは見たことがないな
ところで、"racism" という言葉はもともとは「人種に基づく差別的取り扱い」というよりも、「人種の優劣を主張する"人種理論"」を指す言葉だったらしいので、人種間の知能差論を racism というのは古い用法としては正しいのかもね。「差別」は 英語だと discrimination という別の言葉もあるので、日本語の感覚で "racism" という語 を「人種差別」と理解するのは誤りかも。
racism→「人間の特徴と能力が人種によって決まるとする理論」
なお、有名なリバタリアンで経済学者のミルトン・フリードマンは、"Suicide of the West: Impressions of South Africa and Rhodesia"で、南アフリカ共和国やローデシア (現: ジンバブエ) の白人支配政権を、他のアフリカ諸国に比べて市場の自由を保証するものとして擁護している。リバタリアンと植民地主義擁護の関係はヤーヴィンが最初というわけではないようだ。ヤーヴィンに強い影響を与えたリバタリアンのマレー・ロスバードは植民地主義には反対だったようだが。
私がリンクした推定上の国別平均IQのソースはRichard Lynnら。国別IQの調査で有名なのはLynnなので、ヤーヴィンのソースもLynnと考えていいだろう。Richard Lynnによる国別IQの推定の正確性については議論がある:
なお、サハラ以南のアフリカの人々のIQが、先進国で精神遅滞とされる水準だからといって、アフリカの人々が先進国における精神遅滞と類比できるような状態にあるということにはならないらしい (先進国でIQが極端に低い人は、特別な要因 (ダウン症や、重度の自閉症など) がある場合が多いため、単にIQの低さにとどまらない問題を抱えている場合が多い)
LynnのIQ推定には「アフリカ人のIQ推定が低すぎる」という批判が多いが、サハラ以南アフリカの栄養や汚染物質などの環境が悪いこと、IQは環境に影響を受けることを考慮すると、それくらい低くてもおかしくないらしい
ayu-mushi.iconSouth Africaの記事では南アフリカにおいてIQによって選挙権を制限するほうが現状より良いと言っているけど、格差への影響を考慮するとIQによって選挙権を制限した上で人種や所得集団ごとに票の重みを人口全体に対する比によって調整したほうがいいのでは (ジェイソン・ブレナンが(IQじゃないけど)そういうことを言っていたと思う)
でもヤーヴィンの政府の話は主には、無能が支配してるのが悪いってよりはインセンティブが噛み合ってないのが悪いって話だからね。むしろ彼は現状のアメリカはテクノクラシー的であって知能的には優れた人間が支配してると思ってて、それでも現状には問題があると主張してる。あんま能力主義のイメージじゃないかな。
「人種間のIQ差の認識によって南北戦争の解釈は変わらなければならない」と言っている。つまり、やはり、人種間の生物学的差異の認識は、黒人奴隷制を肯定する帰結を持つ、というようなことを思っているのかもしれない。
On a larger subject, if James Watson is right, our historical interpretation of the 1860s will simply have to change. Details matter. Facts matter.
「もっと大きなテーマとして言えば、もし James Watson が正しいのなら、1860年代〔訳注:南北戦争期〕に対する私たちの歴史解釈は、根本的に書き換えられざるをえないだろう。細部は重要だ。事実は重要なのだ。」
ヤーヴィンは、
〔And, of course, its meatpuppets overseas.…〕そしてもちろん、海外にいるその“操り人形”たちも含まれる。その一つが、ヘンリー・メイン自身の国である。イギリスが無制限の民主主義に身を委ねてからの1世紀のあいだに、同国は帝国を失い、アメリカの従属国となり、さらに現在ではEUの中心地であるブリュッセルという屈辱的な中間的監督者を持つに至った。犯罪率は5000%増加し、事実上、かつての自国の支配領から来た「堕落した、半人間的な最下層 the debased, para-human dregs」(引用者による強調)によって植民地化された。これ以上、何がうまくいくというのだろうか。 確かに、メインの時代の読者であれば、リベラルであれ保守であれ、これらの結果を「祝福」と見なす者はいなかっただろう。したがって、彼の予測は、彼自身が提示した言葉の意味において、正しかったと言える。言うまでもなく、「民主主義の世紀」におけるその他の世界的な災厄についても同様であり、それらのどれについても、あなたや他の誰も(私のような少数の変人を除けば)民主主義のせいだとは考えていない!これもまた、メインの記述に完全に合致している。
とか言ってるので、移民差別者のような気がするし、ある種の人種差別主義者ではありそうか
このコメントは、19世紀のMaineの読者が現在を見てどう思うかという話題で、実際に19世紀の人に現在の状態を見せたらそう思うのかもしれないが…
ヤーヴィン本人は、イギリスが帝国を失ったという事実自体を規範的に重要だと思わなそう (その結果として生じた紛争やインフラの劣化を気にかけこそせよ) な気がするので、これは19世紀の人の心情を想像しているだけの文とも取れるが、犯罪率の増加は、本人がかなり気にかけてることであるし、Maineにはかなり共感的に書いているわけだし。
〔Carleton Putnam had exactly the same plan…〕Carleton Putnamは、公民権運動に対抗するためにまったく同じ計画を持っていました。カールトン・パトナムという人物を知っていますか。ぜひ彼の優れた著作――Race and Reason(1961年)を読んでみてください。 明らかに、パトナムは正しかったのです。彼は誰を教育したのでしょうか。実際のところ、かなり多くの人々です。パトナムの手紙は、南部一帯の新聞に掲載されました。それを読んだ人々は今どこにいるのでしょうか。ほとんどがすでに亡くなっています。カールトン・パトナムが教科書で言及され、彼の考えが教えられ、彼が正しく、善良で偉大とされた人たちは間違っていたのだ、とアメリカ人が学ぶような国にたどり着くまでに、あなたはいったいどれだけの「小さな教育的ステップ」を踏む必要があるのでしょうか。
ヤーヴィンは、Carleton Putnamという人種分離を支持した人を、「明白に正しい」と考えているらしい。ヤーヴィン自身が、人種分離政策を支持しているという話は聞いたことがないが。
〔Who is the cult?〕どちらがカルトなのか? 唯一の判断基準は真理性である。ここUR〔ヤーヴィンのブログ、Unqualified Reservations〕で私がやろうとしてきたことの一つは、いわゆるWashcorp 〔=アメリカ政府〕 がどのようにして体系的に(しかもかなり無意識的に)Plainlanders〔=アメリカ人〕のあいだに現実についての虚構的な見方を広め、それを維持しているのか、その事例研究を積み重ねることだ。そこでは、大衆支配体制(massarchy)そのものの存在が、こうした虚構に依存するところまで来ている。
もしあなたが新しい読者なら、最近発掘された「クリック書簡」は、あなたの信念を揺さぶるための簡単な材料になるかもしれない。Washcorp=アメリカ政府は比較的柔軟であり、世論の多くの変化には適応できる。しかし、もしFrancis CrickとJames Watsonが正しかったとされる世界に適応するとしたら、何が必要になるか想像してみてほしい。正直なところ、私にはまったく見当もつかない。それに比べれば、金本位制への回帰など取るに足らない問題である。 ワトソン、クリックの人種に関する見解 ――黒人と白人のIQ差は遺伝にある程度由来を持つ――は、アメリカ合衆国政府が広め、維持してきた嘘、さらには民主主義の存在自体が基づいている嘘に揺さぶりをかけるだろう、という。
ヤーヴィンは、人種問題を、単なるポリコレvs反ポリコレや文化戦争として矮小化されるものではなく、「アメリカ政治システム全体が基づいている巨大な何か」としているのではないか
mhatta氏"結局白人やアジア人よりも黒人やヒスパニックは知能が低いから差別されて当然みたいな遺伝学もどきの優生思想に落ち込んでしまう"というのは、少なくともこの記事の主張からすると違う。(mhatta氏が直接ヤーヴィンに帰属しているわけではないけれど)
いや、
〔But there is one thing to note: the common meaning of racism implies the belief that ancestry is significant information in the context of common decisions about individuals〕
ただ一つ注意すべき点がある。
「人種差別(racism)」の一般的な意味には、個人について通常行われる判断において、その人の祖先・出自(ancestry)が重要な情報だとみなす信念が含まれている。
しかし、それが重要ではないことは明らかである。
たとえば、求職者のIQを知りたいなら、その人にIQテストを受けさせればよい。
祖先集団のパターンが役に立つのは、多数の人間集団全体に影響する意思決定を行う場合だけである。
そして政府は、しばしばそのような集団レベルの決定をしなければならない。
と、「人間の大きな集団をまとめて扱うさいにのみ、人種についての一般化が有益な場合もある。政府はしばしばそのような意思決定を行う」と言っているから、何かしら人種に基づいて違いのある決定をすることを認めている可能性はある。
"The policy solution here is obvious: eliminate the race industry, abolish all racial privileges, including laws against “harassment” and “discrimination,” and restore unconditional freedom of speech and freedom of association. "
ここでの政策的解決策は明白である。
人種産業(race industry)を解体し、あらゆる人種的特権を廃止し、「ハラスメント」や「差別」を禁じる法律も含めて撤廃し、無条件の言論の自由と結社の自由を回復することだ。
――とあるので、雇用者の判断に基づく雇用差別とかが政府によって違法にされるべきではないとも考えているとは思う。ただ、企業にとって雇用差別をする必要があるとは思っていないだけだ。
これは雇用を自由な契約とみなすリバタリアンに標準的な考えだけど。freedom of associationを根拠に公民権法に反対したバリー・ゴールドウォーターのように、リバタリアンは公民権法が民間に適用されることに対し反対してきた。
雇用が当事者間双方の合意に基づく自由な契約なら、雇用差別も、アファーマティブアクションも、企業が自発的に行う限りにおいて、政府によって禁じられるべきではない。
投票権のような政治的権利の違いは正当化すると思っているのだろうと思う。植民地主義を肯定する文脈ではそういう風に言っている。もっとも、ヤーヴィンは投票権をそもそも白人にも (一律には) 認めていないけれども。
南北戦争の議論で、奴隷制の擁護のようなこともあげているから、自由権の差異も正当化するようなことを言っているような気もするけれど。
知能と道徳的価値についてのその他の論者による議論は[15]を参照せよ。 人種によるIQ差を重要視してる主な理由は、「現在の人種間の格差の原因が、現在の差別や、過去の差別・奴隷制の残渣に由来するものでないなら、差別是正のための政策や、人種間格差を縮めるための社会的・政策的努力は正当性がない/効果が期待できない」 みたいなことを言いたいって理由では
現在の差別や、過去の奴隷制や差別への補償として、アファーマティブアクション等が正当化されることが多いので
(「差別で生じた差を是正するためなら良くても、他の原因で生じた差異を是正しようとするのは、単に特権を与えることでしかない」的な感じか)。
統計に基づいて個別の状況で異なる取り扱いをすることを肯定してるわけでもないし。
個別にテストすればいいので、個々の状況で人種の情報を使う必要がないと言っているが、テストする時間の費用が見合わない場合はどうするのか、異なる集団は異なる平均に平均への回帰することを考えるとテストの情報と人種の情報両方使ったほうが正確性が高くなるのではないか、みたいなツッコミどころがあるから十分な回答ではないのでは (そんな面倒な問いは、誰も考えたくないのだろうが)
ヤーヴィンはこの記事で、「福祉や公民権法など、格差を縮める努力に正当性ない/無駄」だけでなく「逆効果」とまで言っているけど、これは生得性の議論から導かれる主張ではぜんぜんない。というより、政策が人種間のギャップを悪化させるなら、むしろそれは一種の環境要因の効果を示すものだ。
(ヤーヴィンはチャールズ・マレーを引いているわけではないが) これはチャールズ・マレーの、Losing Groundにおける主張と、Bell Curveにおける主張に対応する。
〔The scientific achievement of GNXP…〕
Razib Khanらによる人種についての遺伝学研究サイト GNXP の科学的達成それ自体は、それほど驚異的というわけではない。
しかし、その含意は、むしろより大きいかもしれない。
人間の神経学的均一性(neurological uniformity)と、その不在についてはすでに論じた(第9章)。
ここではこう言っておけば十分だろう。われわれの政治・経済・学術システムのかなり大きな部分は、「国際白人陰謀(International White Conspiracy)」とでも呼べる命題に、自らの信頼性を全面的に賭けてしまっている。
人間の神経学における統計的な集団差そのものは、それ自体としては私にはそれほど刺激的な話には思えない。責任ある有能な政府なら、かなり能力の低い人々(高級なHomo erectus程度)まで含めて、どんな集団でも対処できるはずだからだ。
しかし、嘘というものは常に大ニュースである。
もし現実について、「国際白人陰謀」などを仮定しなくても説明できる、もっとずっと単純な説明が存在するなら、それはかなり多くの人々にとって問題になる。しかも、その多くの人々は実際には白人なのである。
「人種格差はなぜ存在するか?」という問いに対する、「それは人種差別・systemic racism によって生まれているのだ」とする説明を論破するために、対立仮説としてIQ差を持ち出すことが必要、という
〔It’s interesting to see how easy (and prudent) … 〕
HBD(人間集団間の行動特性差に関する議論)が持つ政治的含意を、人々がどれほど容易に(そして慎重にも)恐れるかを見るのは興味深い。
もしHBDが、政府が万人に信じることを要求しているように、邪悪な虚偽であるなら、「アファーマティブ・アクション」は一つの意味を持つ。
しかし、もしHBDが真実なら、それはまったく別の意味を持つ。
もっとも、私は「アファーマティブ・アクション」自体に大して関心はない。
20世紀の犯罪的政府(criminal government)という基準から見れば、それはそこまで重大な犯罪的行為でもない。
悲しいのは、HBDの政治的帰結を検討する意思がないなら、目の前の現在だけに囚われてしまい、その歴史的帰結を理解する道も閉ざされてしまう、ということだ。
うーん アファーマティブアクションについてそんなに気にしているわけではないと言っている。どの政策について特に気にしているのかはよくわからない。
アメリカだと、雇用差別の禁止、ハラスメント規制、アファーマティブアクションはすべて公民権法とその最高裁判所による解釈 ("hostile work environment", Griggs v. Duke Power Co., disparate impact) を根拠にしてるっぽい
hostile work environment と公民権法の関係とは?
ハラスメントは雇用差別の一形態であり、1964年公民権法の第VII編(Title VII)、Age Discrimination in Employment Act of 1967(ADEA)、およびAmericans with Disabilities Act of 1990(ADA)に違反するものである。
ヤーヴィンのアファーマティブアクションについての考えは、政府が雇用に介入するのはfreedom of associationに反するというリバタリアン的な関心が前面にあり、"アファーマティブアクションは能力の低い人を採用してしまうから悪い" という能力主義的関心とは異なる気がする。
「たとえば中国料理店が中国人だけ雇って何が悪い」みたいなことを言っていて、あんま能力の話してないので
再分配の否定についても、ヤーヴィンのフォーマリズムにおいては、民主主義において財産の分配について争いが生じること自体を問題にしているのであって、再分配によって能力と所得が対応しなくなるといった理由ではない。
ヤーヴィンのネオカメラリズムにおいても、株主へ税収が分配されるので、ある意味で再分配は起こる、とも言えるし、その再分配は能力と対応するものではないだろう。
まあ freedom of association をアプリオリに、無制限に、内在的に価値を持つものとして認めるなら、仮に格差の原因が差別であったとしても、雇用契約に政府が介入することは認められないので、そもそも格差の原因がなにかについて論じる必要はないけれど。(それでも他の人を説得するために言及することは考えられる。)
リバタリアンの中には、能力主義を擁護する意見 (ブライアン・カプラン) と、反対する意見 (ハイエク、ノージック、ミルトン・フリードマン) とがある。能力主義を擁護するカプランの意見:
新古典派のモデルによれば、自由 (完全競争) 市場では (会社が利潤を最大化しようとするとき) 賃金は限界生産性 (現状から労働量を1単位減らしたときの利益の減り) と一致する
しかし、これはその人の「社会への貢献」とか頑張りとかその人に備わる質 (能力とか) と一致するものではない
そのため、ハイエクやミルトン・フリードマン、ロバート・ノージックらリバタリアンは、市場において頑張りや貢献、能力によって人々がふさわしい (moral desert) ような報酬を受け取るという考えを批判した。また、彼らリバタリアンは、人々にふさわしい報酬を与えるべきという考えが、社会主義につながるとして恐れていた。
ジョセフ・ヒースによれば、人々が日常的に協力する上で使っている 功績、ふさわしさ の概念などを、競争市場における取引に転用することは問題がある。
「今から白人だけに選挙権を限定するのは人種差別と非難を受けるので支持を得られそうにない。むしろ白人からも選挙権をうばう王政主義・ネオカメラリズムの方がまだリベラルな層からの反対に合いにくく、支持層を増やしやすい提案だろう」みたいな理由で王政・ネオカメラリズムをプッシュしてるっぽい雰囲気がややある 例:
ヤーヴィンは、John Derbyshire や Laurance Auster ら白人ナショナリストを肯定的に扱っている。
移民反対で知られるイギリスの保守政治家 Enoch Powell にも肯定的。
〔Another approach is to say that …〕
別のアプローチとしては、白人ナショナリズム(white nationalism)とは、自分たちを「白人ナショナリスト」と呼ぶ人々が信じているものだ、と定義することだ。
John Savageには良いリンクまとめがあり、その中には、Steve Sailer(おそらく「セイレリスト(Sailerist)」と分類するのが最も適切だろう――そして私はそのラベルを自分のシャツに貼ることをまったく恐れない)と、〔白人ナショナリストである〕Jared Taylorのフレンドリーな論争が収められている。
ヤーヴィンは、「「スティーブ・セイラー主義者」という言葉を自分のシャツに印刷してもいい」と言っている。セイラーは、人種間のIQ差について論じ、移民反対を唱えてきたライターである。
Unqualified Reservations: Why I am not a white nationalistで、ヤーヴィンは、人種的マイノリティによる白人への犯罪は重要な問題だ、と言っている。実際には、アメリカでは、黒人は犯罪加害率だけでなく、犯罪被害率も高いのだから、もし人種中立的な価値観を持ち、多い犯罪が一番重要だというなら、黒人から黒人への被害を止めるのが一番重要だ、と言うはず。しかし、白人の被害に注目するのは、規範的に白人優遇の考えを持っているからとしてしか、正当化できないのではないか。ヤーヴィンの考えは、暴力犯罪の加害者にも被害者にも男性が多いのに、男性から女性への暴力被害を優先して食い止めよう、というのと同じくらい差別的な考え方だ。 この記事の著者は、ヤーヴィンら周辺の極右 (Dissident Rightと言われる) の思想の背後には、人種間の生物学的差異 (Human Biodiversity, HBD) というテーマが通底しており、それが彼らを反DEIや反移民という共通点から (本来 Dissident Rightの人たちはトランプやポピュリズムと異なる考えであったにも関わらず) トランプ支持に向かわせた、という説を唱えている。
リバタリアニズムとレイシズム・白人ナショナリズムの関係
ヤーヴィンに大きな影響を与えたリバタリアン思想家のマレー・ロスバードも、人種差別との結びつきがある。一時期は新左翼と戦略的に連携し、ブラックパンサーなどの過激な黒人解放運動を支持していたものの、あとにpaleoconservativeと連携していた時期には、元KKKの候補 David Dukeを支持したりしていた(*)らしい。 ロスバードは公民権運動時代に分離主義的な黒人運動を支持していたのも、これは彼がレイシストであり、白人と黒人の分離をしたいことが目的だったのではないか、と言われたりしてる (公民権運動時代、白人分離主義者と黒人分離主義者は、分離という共通目的のために共闘していたこともあったらしい)。
ヤーヴィンの主要な元ネタである Hans-Hermann Hoppeも、白人ナショナリストとつるんでいるっぽい。
Hoppeが主催する団体である、Property and Freedom Societyの過去の公演者一覧を見ると、白人ナショナリストのJared Taylerや、オルタナ右翼のRichard Spencerの名前もある。Human Biodiversityについて書いているSteve Sailerや、人種間の IQ 差について研究したRichard Lynnの名前も。白人ナショナリストが集まって記事を執筆する移民反対系ウェブサイト VDARE を創設したPeter Brimelow。 ミーゼス・コーカスとネオナチの関係。
歴史的に: 民主党リンドン・ジョンソンと戦った、共和党のバリー・ゴールドウォーターという1964年の大統領候補 (リバタリアンに近い立場の候補) は、自身は人種差別に反対していたものの、アメリカ合衆国憲法に基づき公民権法に反対した。その結果、人種差別的なアメリカ深南部州の支持を得た。(昔は南部はむしろ民主党の支持基盤だったことに注意。このあたりから南部は共和党の支持基盤に移りはじめた。)
1948年に (人種差別的な) 州権民主党Thurmanを支持した州、1964年に小さな政府派のバリー・ゴールドウォーターを支持した州、1968年に人種分離政策を支持したジョージ・ウォレスを支持した州には重複が大きいことが、州毎の大統領支持の遷移を図示した動画から分かる。 おそらくFosetiは、そのことを受け入れながら、リバタリアニズムを支持しているのだが。
これを見たとき、人種差別的だと思うべきなのか、自分の支持する政策に対しても欠点の存在を認める知的に誠実な人間と見るべきなのか迷うところだ。――両方なのかもしれないが。
ロナルド・レーガンやロン・ポールの時代には、福祉国家は白人からマイノリティへの再分配と見られ、また移民してきた人々は (大きな政府を唱える) 民主党を支持すると考えられたため、リバタリアンとレイシズムは利害が一致していた。
ayu-mushi.iconたぶん、人種差別はアメリカ社会ではタブーだから、人種差別主義者はリバタリアニズムという人種中立的な装いを欲しがっていた というのもあるだろう
その利害一致により、リバタリアンの代表人物であるマレー・ロスバードが、元KKKの候補であるデイヴィッド・デュークを支持するというようなことが起こった (1992年の記事にて)。
さらに、Nick Fuentesという最近話題の反イスラエル系 白人ナショナリストはもともとはリバタリアンのロン・ポールを支持していた。
ハナニアによれば、このように、一時的にリバタリアンとレイシストがくっついていたものの、移民が共和党支持に回る場合があることが分かり、またレイシストがハイスキルの移民にまで反対しようとすると、リバタリアン的なロジックでは移民反対を正当化できなくなり、トランプの時代のレイシストは自由市場ではなく経済への政府介入肯定に傾いていく (例: J.D.ヴァンス)。
これを、著者のハナニアは、これを「リバタリアン→レイシズム→社会主義者」流通経路と呼ぶが、これはヤーヴィンの思想の発展とよく符合している。(ayu-mushi.icon産業保護主義のことを社会主義というのは解せないが)
(※もともとLibertarian-to-Alt-Right Pipeline (リバタリアンからオルタナ右翼への流通経路)のような言い方がある。)
というのも、ヤーヴィンは、かつては国民国家に否定的で、経済的にはリバタリアニズムの経済政策を支持したが、いつからか、国民の雇用の保護を訴え、産業保護主義者のナショナリストとなったからだ。
ヤーヴィンは、産業保護主義のナショナリストになった後は、移民だけでなく、オートメーション、自由貿易にも反対するようになった
ヤーヴィンは、単にレイシズムの隠れ蓑としてかつてはリバタリアニズム、今はナショナリズムを利用してきただけなのだろうか?
ハナニアは、レイシストが単に移民排斥のためのレトリックとして産業保護主義を使うだけで、オートメーションなどについては同じ論理を適用しない場合 (例: J.D.ヴァンス) もあるとしているが、ヤーヴィンの場合はここでいう一貫した産業保護主義になっており、オートメーションについても規制を唱える:
リバタリアンとレイシズムの結びつきについて、以下の動画も参照してほしい。
https://www.youtube.com/watch?v=3x8X-blg8ig
カーティス・ヤーヴィンに至る思想史――リバタリアンの中の移民反対勢力 (パレオリバタリアン)、人種とIQ論、私有財産に基づく分離社会、金本位制――について説明されてる。
もっとも、極右 + リバタリアンの融合思想と言えるハンス・ハーマン・ホップやヤーヴィンらは、ハイエクには否定的だったりするので、本当に「ハイエクの私生児」と言えるのかは疑わしいと思うけどね。彼らはむしろロスバード派の後継。
ニューハンプシャー州のリバタリアン党候補 Jeremy Kauffman や、このシリーズで何度か参照した政治ライターのRichard Hananiaなどもこの流れか。 自然秩序
mhatta氏が言及している自然秩序(natural order)というのはホップの用語だ。
政府の代わりに、保険会社が犯罪からの警備を行う。
強者と弱者が依存と隷従のヒエラルキー構造を形成するのは自然かつ互恵的な傾向である、
また支配者は才能や業績 (their own talents or achievements) に応じてその支配者としての地位を被支配者から認められるのだ、
と言っており、mhatta氏の記事で新反動主義の考えとされているものと一致しそうである。
ホップが言ってる natural aristocracy というのは家柄より実力を認められた人のようなので、メリトクラシーに近そう
世襲にもそんなに否定的ではなさそうな雰囲気だけど
"宗教や伝統を排して経済的自由と個人的自由を追求するのがリバタリアニズムだが、民主主義は宗教やらと同様衆愚による自由追求への制約と見なされるわけである。"とmhatta氏は言っているけれど、Lew Rockwell などキリスト教徒・伝統主義のリバタリアン (paleolibertarian 系) もそれなりにいる気がするし、ハンス・ハーマン・ホップやカーティス・ヤーヴィンが基づいているのはそういう paleolibertarian 系ですよねっていう。まあヤーヴィン自身は無神論者だけど。
ハンス・ハーマン・ホップは旧約聖書の十戒は良いみたいなこと言ってるけど、ガチで神信じてるかは分かんないね
あくまで、道徳的教えとしてキリスト教を評価してる?
ホップは封建制を高く評価しているのに対し、ヤーヴィンは絶対王政を高く評価してる。
絶対王政は近世だから、(mhatta氏が言うのと違って) ヤーヴィンは中世に戻ろうとしている感じではない。
もっとも、ヤーヴィンのフォーマリズムも権力を所有権として見る点では封建制との類似点もある。違いは、1つの領域に対しては、王と貴族のように複数の権威があるのではなく、単一の権威が存在する点。
中世の封建制に戻ろうとしてるのは、Michael Anissimov やハンス・ホップだ。
パッチワークは地方分権的だから、その点でも中世っぽくはある。
ヤーヴィンは、「技術決定論的というか、技術信仰に近い」というわけでもない。
ヤーヴィンは技術者だけど、政治と技術の話とはほぼ関係づけてない (ネオカメラリズムにおいて武器が暗号ロックされるという話くらい)。